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2011.11.20

悼む人

『悼む人』 天童荒太氏初読み作品読了。
悼む人悼む人
(2008/11/27)
天童 荒太

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一時期話題に挙がった作品ですね。
天童荒太氏といえば『永遠の仔』等が有名でドラマ化もしました。
でも自分は他作品は読んでいなくて・・・これが初です。
チラッと概要だけは知っていたのですが「悼む人が各地を放浪している」
だけだったので、まぁ何も知らないに等しい・・。
読了したら「まぁ、合っているよな」となりましたが(苦笑)
"悼む人"はこの物語の主人公・坂築静人という青年で
日本各地で亡くなった人達を「悼む」旅をしています。
その先々で出会った人や事柄を三人の視点で語る、というスタイル。
一人目は週刊誌記者・蒔野抗太郎。
低俗でエグイ記事ばかりを扱う事で通称「エグノ」と呼ばれている。
二人目は静人の母親・坂築巡子。
末期がんに侵されており自宅で療養している。
三人目は奈儀倖世。
夫を殺し、服役後事件現場で出会った静人と行動を共にする。
以上三人の視点から悼む人・静人が語られて自分の人生や死ぬことを
考えていきます。
悼む人は事件・事故・病気等に関わらず、どんな人に対しても平等に"悼む"。
----------------------------------------------------------------
左膝を地面につきました。次に、右手を頭上に挙げ、
空中に漂う何かを捕らえるようにして、自分の胸に運びます。左手を地面すれす
れに下ろし、大地の息吹をすくうかのようにして胸へ運び、右手の上に重ねる。
----------------------------------------------------------------

上記している様子が所謂"悼む"行為であり、静人がずっと続けている。
いつから"悼む"事を始めたのか?
何故彼は"悼む"のか?
何故"悼む"事を続けるのか?
最初の問いについては文中で答えが見つかるのだが
二番目と三番目の問いに対しては明確な答えは見つかりません。
いや、あるかもしれないけれどそれを突き詰めても結局は
彼が"悼みたい"からだと感じました。
見ず知らずの他人に対して"悼む"・・・そして静人の心に刻まれていく・・
勿論最初多くの人が「何やっているんだろう?何の意味があるのか?」
という尤もな疑問を感じるが、段々その「何故」に対してぼんやりとした
答えが象られていく感じですね。
三人の語り手の中で一番印象に残り静人の傍にいるの奈儀倖世の心も
中々周囲の人には理解し難い状態になっているので
彼女の心の変動を読み進めていくのも面白いかもしれない。
















以下はネタバレ。




















ミステリーではないので「ネタバレ」かどうかは微妙ですが(苦笑)
まぁ、後半の展開についてちょっと触れてみます。
冒頭から最期まで静人は"悼み"続けていきます。
この小説は静人以外である三人の視点から語られるので、三人の「出会いから別れ」までを綴っているのだと思います。
蒔野抗太郎については身から出た錆だが、男から暴行を受け
重症を負ってしまう。
彼は決して「良い」人生を送ってきたわけではないし、周囲からも
蔑まされている人物だと自覚しています。
そんな彼が暴行を受けて"死への恐怖"を感じた時、思い出すのは
"悼む人"坂築静人。
坂築巡子は末期がんという宣告から命尽きるまで、息子坂築静人が
何故"悼む人"になったのか深く理解は出来ないままです。
でも最期の最期で感じたあの「人物」はきっと坂築静人だったと思います。
奈儀倖世はまた特別かもしれませんね。
夫を殺して出所してから彼女の肩には「殺した夫」が居て
事あるごとに話しかけてくる。
そのやり取りは他の人達に聞こえていないが、彼女は確実に「居る」と感じてい
るらしい------この辺最初どう受け取ったらいいのか困惑しましたが
「心」の事なので「そうなら、そうなんだろう」と軽く流してました(爆)
彼女は坂築静人と出会った後からもずっと「何となく」彼の後をついて歩き、
様々な"悼み"を目撃していきます。
後半には坂築静人と恋人(?)になりますが、やはり別れる事になり・・
そして再会するのでしょうね。
自分としては恋人になって欲しいとは思わなかったけども・・
まぁ、お互い好きになるのは全然良いのですが"悼む"旅中に
いきなり俗世間に戻った感じで違和感が(苦笑)
結局彼女は坂築静人と一緒に居ることで「夫」から解放されて
救われた事になります。それが良かったなぁ・・。
一番印象深く、自分の中で"悼む人"の意義を感じたのは
蒔野抗太郎が奉公を受けた後に思った
「"悼む人"は自分が死んでも心に刻んでくれるだろう」
という事ですね。
言葉は不明確ですが、確かこんな事を考えたと思います(曖昧;)
つまり、もう自分はこのまま孤独に死んでしまうだろうと思った時
"悼む人"はその孤独から解き放ってくれるだろうという事。
命尽きる時、周囲に誰も居なくても孤独であっても
"悼む人"だけは、自分を覚えていてくれるだろう-----という事は
その孤独な人を救った事になると思います。
孤独を抱いたまま死ぬより、こんな自分でも"悼んで"くれる
見ず知らずの人がいるとわかるだけで
安らかに逝けるだろう、と-------。
その行為が亡くなった人や遺族を傷つけるのなら
やるべきではありませんが、傷つけること無い行為であれば
偽善と罵られ様が自己満足を言われようが
やっていいと思います。
第一偽善かなぁ・・?とも思いますしね。
「他人の為に"悼む"なんて偽善だ」と思うことだって「偽善」だと思う・・・
見知った人を"悼む"のは偽善じゃないけれど、見ず知らずの他人を
"悼む"事が偽善って・・・境目が善くわからないですね。
言うなれば、それは個人個人の心だけのものでしょう。

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Posted at 19:57 | 天童荒太 | COM(0) | TB(0) |
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